2012年8月15日水曜日

【第11弾】【第12弾】女川町桐ヶ先、気仙沼市小泉地区 訪問記/和泉洋子



7月21日・22日 女川町桐ヶ先、気仙沼市小泉地区
 現地派遣隊に参加した訪問レポートです。


女川町桐ヶ先の仮設住宅で、ビタミン計画の野菜の到着をまつ間
代表の鈴木さんご夫妻に、近況など、お話をうかがいました。


 町に大津波が流れ込んできた時の写真だと
 大きく引き伸ばされたものをみせてくださいました。

 「子ども3人が大学へ行って独立するまで、うんと仕事して、
 夫婦でゆっくりとした時間をすごそうと思った矢先に全部なくなっちゃったんだよ」
 津波の写真と、代表の奥様との会話に胸をうたれました。


5月に植栽した花壇(岩沼市の花卉農家「Dragon Flowers」さんの苗)もみてまわりました。
 あらたに向日葵も加わり、よく手入れされている綺麗な花園です。

代表の鈴木さんは、今秋も銀鮭の養殖を考えてらっしゃるそうです。
 他の住人の方も水産加工業の工場へ、曜日関わらず仕事へ出ておられ、
 休みの日もいないことが多く、それぞれの生活を始められているそうです。

 新鮮な野菜が届き、すぐに袋詰めをおこないます。
 「卵もあるね こないだのもとっても美味しかったよ 嬉しいね」
 と、奥様がおっしゃってくださいました。


今回は派遣隊の岩さん木村さんが、宮城県岩沼市で復興されたという情報を得た
 「やさい工房八巻」さんを直接訪ねて購入したトマトも一緒です。
 塩害の農地でトマトを育てる取り組みをされ、美味しい実をみのらせることができたそうです。
 http://www.ffa.ajinomoto.com/corporate/atp/noushokou/
 http://www.kahoku.co.jp/news/2012/08/20120807t13029.htm



次の訪問先、気仙沼市小泉の仮設住宅へは
 南三陸さんさん商店街でお野菜を、鮮魚センターで宮城産の銀鮭を調達しながら
向かいました。住宅の皆さんと夕食を準備して、集会所で一緒に食事をとることが
できました。小泉のお母様がたは、いつもお顔をみせて下さるそうです。

 自己紹介をさせていだたくと、私の名前が地名と同じだったことで話に弾みがついて
 「それじゃぁ すぐ覚えられるよ!仕事は何してるの?どこに住んでるの?」
 夕食で作った『銀鮭のちゃんちゃん焼きの味付けや、テーブルクロス用に持参した手作りの
 和紙の折り染めについて作り方の質問も受け、談笑することができました。

「ふだん食べないものを作ってくれてありがとう」と、御礼の言葉をちゃんと伝えて
 くださるお気持ちが本当に嬉しかったです。お母様がたがお鍋いっぱいにつくって
 くださった宮城の郷土料理「はっと汁」もとても美味しくいただきました。

代表の及川さんは
 「ビタミン計画さんは冬の寒い時期にも来てくれて、感謝の気持ちは生涯忘れないよ
また来てくれた時には、ここまで復興できたって伝えていきたい、それが恩返しだって思っているんだ」
と、何度も、何度もお話くださいました。
 「おい!飯塚さんに電話してくれ!今、この様子を伝えてやりたいんだ」という及川さんの一言で、現地の皆さんとビタミン計画代表の飯塚さんとを電話で繋げることもできました。

ビタミン計画関係者の皆さん、支援を続けてこられた皆さん、野菜を育てている農家さん、野菜を届けてくださる販売先の皆さん、それぞれの方を通じて届いた支援が
 被災地の皆さんとの関係を着々と築かれていることが実感できた訪問でした。

 終始、拙いレポートで申し訳ありません。
 少しでも被災地の皆さんのお気持ちや、様子が伝わりましたら幸いに思います。


(あとがき)
 レポートでUPされる写真をみる度に現地へも伺いたいとおもっておりましたが、
 土日休みを取れず、機会がなかなか見つからなかったところ、いざ参加が叶うと
 ボランティアをしたことも受けたこともないため、右も左もわからない中、
現地活動をされてきたビタミン計画の皆さんからのアドバイスをいただきまして、
支援先の皆様にお会いしたいという気持ちで、初めて被災地へ向かいました。

海岸沿いへ近づくにつれ、車窓の風景がさまがわりしていきました。
初めて訪問した人であれば、復興の兆しを感じられないというのが本音じゃない
でしょうか。大津波が町に到達する映像を何度みていても、目にした姿・かたちに
「どうして・・・」と言葉がつまってしまいます。

でも当初から来られている派遣隊の皆さんによると、町中に打ち上げられた船や、
 ビルの上にあった廃車なども運びだされ、整備が進んでいることが分かるそうです。


現地でとらえた被害の広大さは、生涯わすれられないと思いました。
「全部がなくなる」という状態を、被災地からの帰宅直後は、目に見えるものだけで
 とらえていましたが、訪問から数日経ち、活気づいている街を歩いているうちに、
被災地では、その土地の風土や、数世代が刻んできた時をふくめて「全部がなくなった」
ことに気づかされました
私の家族で今回の被災地訪問の体験をシェアした時、根こそぎ」という言葉の意味を深く考えることとなりました。

個人でできることはまだ少ないですが、また何か機会が得られましたら
訪問を重ねて行きたいと思います。

 長文をご一読いただきまして、ありがとうございました。
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       【ビタミン計画】 和泉洋子
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