2012年8月22日水曜日

7月訪問レポート/岩正人

・前回から約2ヶ月ぶり、7月20日から22日にかけて女川町桐ヶ崎と本吉町小泉の仮設住宅を訪問してきましたので、ご報告したいと思います。


・桐ヶ崎へ行く前日に、岩沼市の「やさい工房八巻」さんにお邪魔してきました。(八巻は、やまきと読みます)
・八巻さんも津波で大きな被害を受けました。ビニールハウスも農機具や車も壊れ、また海岸近くにある工業団地から様々な物が流れつき、津波の後の農場は本当にひどい有様だったそうです。
・一度は農業をやめるしかないと考えたそうですが、ボランティアなど多くの応援があったこと、そして何よりも、従業員の方たちの働きたいという気持ちがあって、再開を決意されたのだそうです。
・現在生産されている野菜は、放射線検査を行い安全を確認して出荷されています。トマトとトウモロコシを桐ヶ崎と小泉へのお土産に買いたいとお話ししたら、快く(気前良く!)応じて下さいました。
その日の夜、一足早くトマトをいただきました。とても美味しかったです。

  やさい工房八巻の皆さん

<桐ヶ崎>

・桐ヶ崎では、いつものように1軒1軒回って野菜をお配りしました。
 「あぁ、いつものお野菜ね。ありがとう」
 「この卵、この前も入っていて美味しかったのよ」
 「ビタミン計画さんね。いつも有難うございます」
 野菜をお渡しする時の短い会話ですが、こうしたお声や笑顔に会うと、今回もお届けできて良かったと思いますし、継続してきたことでビタミン計画の思いが伝わったのだなと感じます。
・5月末に植えた花壇も、よく手入れされて綺麗に咲いていました。
 夏の暑い時期だけに弱ってないか心配でしたが、とても元気に咲いていてほっとしました。
 (花壇の写真をお見せしたら、Dragon Flowersさんも喜んでました)

・浜では、10月頃からまた銀鮭の養殖に取りかかるそうです。
 今年は風評被害に加えて輸入鮭の在庫が大量にあったそうで、銀鮭を養殖している漁師は利益がまったく出ない程の暴落に苦しめられました。来年についても不安がなくなったわけではないと思います。
 ですが、代表はそうした不安についてはあまり口にされませんでした。ただ、ごく自然なことであるように、秋にはまた養殖を始めるんだよと話してくれました。

  浜の風景

<小泉>

・小泉では、お母さん方がはっとう汁(はっと汁)や飲み物を用意して迎えてくれました。
 (はっとう汁はこんな料理です。 http://www.piconet.co.jp/magazine/recipe/224.html )
 はっとう汁に、僕たちが(というより、和泉さんと水野さんが)作った銀鮭のチャンチャン焼と焼うどん、そして八巻さんのトマトとトウモロコシ。集会室のテーブルに並び切らないほどのご馳走を囲んで、代表、これまでもお会いし​ているお母さん方、そして初めてお会いするご家族も加わり、大勢であれこれ話しながらの賑やかな時間となりました。
 こうした集まりにしても、集会所がなければ開催することは出来ません。集会所を作るための代表の苦労と「集会所がないとだめなんだ」という思いが、思い出されました。

・その晩、代表や何人かのお父さんたちと遅くまで飲みました。 代表は、ビタミン計画やボランティアへの思い、そしてご自身のことなど、たくさんのことを話して下さいました。
 ここには書けないこともあります。ただ、ずっと続けてくれているビタミン計画さんは特別に思っているんだよと、何度も何度も話して下さいました。
 そして、助けてくれた人たちに何かあったら、今度は俺たちが必ず助けに行くよ、そういうつき合いだと思ってるよと。
 多くの話を聞き、多くのものを受け取った夜でした。
 夜半、夜風に当たろうと外を少し歩きました。街灯も家々の明かりも無くどこまでも真っ暗な小泉の土地が広がっていました。

  翌朝の小泉

<つけくわえ〜気仙沼にて>

・22日、風呂で汗を流すため気仙沼まで行き、近くの「おさかな市場」でお昼を食べました。 やっぱり三陸で食べるお魚は美味しい! この時ばかりはおくさんと娘に悪いなあと思いつつ、海の幸を堪能するのであります。
・「おさかな市場」には大型バスも停まり、たくさんのお客さんで賑わっていました。こうしてたくさんの観光客がくれば、きっと三陸の町も元気になっていくのではないかと感じられます。

・その「おさかな市場」の入口に、津波直後の酷い有様の写真がかけられていました。 賑わっている店内と、その店内に自動車が転がっている津波直後の写真を見比べ、ここまで立ち直って良かったと思うと同時に、たった1年と少し前にどんなに酷い災害があったかということを、あらためて思います。
・賑わっている店内や多くの漁船が港に並んでいるところを見ると、被災地の変化を感じますし、その変化自体は間違いなく良いことなのですが、一人一人についていえば、お住まいも仕事もまだまだ「仮の状態」の方が多くいらっし​ゃることでしょうし、あれだけの災害から立ち直り新たな生活を作っていくには、長い月日が必要なことでしょう。
 これからも、息長く続けられる形を考えつつ、東北の被災地と、ご縁ありつながった方たちを応援していきたいと思います。
 もっとも、実際には支援・応援といった「何かしてあげる」といった話ではなくて、むしろ逆に、現地の方たちの言葉や姿、生き方から、こちらが多く学ばせていただいているというのが、本当のところかもしれません。行くたび、お​会いするたびに、多くのことを受け取っています。

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       【ビタミン計画】 岩正人(@iwayan22)
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2012年8月15日水曜日

【第11弾】【第12弾】女川町桐ヶ先、気仙沼市小泉地区 訪問記/和泉洋子



7月21日・22日 女川町桐ヶ先、気仙沼市小泉地区
 現地派遣隊に参加した訪問レポートです。


女川町桐ヶ先の仮設住宅で、ビタミン計画の野菜の到着をまつ間
代表の鈴木さんご夫妻に、近況など、お話をうかがいました。


 町に大津波が流れ込んできた時の写真だと
 大きく引き伸ばされたものをみせてくださいました。

 「子ども3人が大学へ行って独立するまで、うんと仕事して、
 夫婦でゆっくりとした時間をすごそうと思った矢先に全部なくなっちゃったんだよ」
 津波の写真と、代表の奥様との会話に胸をうたれました。


5月に植栽した花壇(岩沼市の花卉農家「Dragon Flowers」さんの苗)もみてまわりました。
 あらたに向日葵も加わり、よく手入れされている綺麗な花園です。

代表の鈴木さんは、今秋も銀鮭の養殖を考えてらっしゃるそうです。
 他の住人の方も水産加工業の工場へ、曜日関わらず仕事へ出ておられ、
 休みの日もいないことが多く、それぞれの生活を始められているそうです。

 新鮮な野菜が届き、すぐに袋詰めをおこないます。
 「卵もあるね こないだのもとっても美味しかったよ 嬉しいね」
 と、奥様がおっしゃってくださいました。


今回は派遣隊の岩さん木村さんが、宮城県岩沼市で復興されたという情報を得た
 「やさい工房八巻」さんを直接訪ねて購入したトマトも一緒です。
 塩害の農地でトマトを育てる取り組みをされ、美味しい実をみのらせることができたそうです。
 http://www.ffa.ajinomoto.com/corporate/atp/noushokou/
 http://www.kahoku.co.jp/news/2012/08/20120807t13029.htm



次の訪問先、気仙沼市小泉の仮設住宅へは
 南三陸さんさん商店街でお野菜を、鮮魚センターで宮城産の銀鮭を調達しながら
向かいました。住宅の皆さんと夕食を準備して、集会所で一緒に食事をとることが
できました。小泉のお母様がたは、いつもお顔をみせて下さるそうです。

 自己紹介をさせていだたくと、私の名前が地名と同じだったことで話に弾みがついて
 「それじゃぁ すぐ覚えられるよ!仕事は何してるの?どこに住んでるの?」
 夕食で作った『銀鮭のちゃんちゃん焼きの味付けや、テーブルクロス用に持参した手作りの
 和紙の折り染めについて作り方の質問も受け、談笑することができました。

「ふだん食べないものを作ってくれてありがとう」と、御礼の言葉をちゃんと伝えて
 くださるお気持ちが本当に嬉しかったです。お母様がたがお鍋いっぱいにつくって
 くださった宮城の郷土料理「はっと汁」もとても美味しくいただきました。

代表の及川さんは
 「ビタミン計画さんは冬の寒い時期にも来てくれて、感謝の気持ちは生涯忘れないよ
また来てくれた時には、ここまで復興できたって伝えていきたい、それが恩返しだって思っているんだ」
と、何度も、何度もお話くださいました。
 「おい!飯塚さんに電話してくれ!今、この様子を伝えてやりたいんだ」という及川さんの一言で、現地の皆さんとビタミン計画代表の飯塚さんとを電話で繋げることもできました。

ビタミン計画関係者の皆さん、支援を続けてこられた皆さん、野菜を育てている農家さん、野菜を届けてくださる販売先の皆さん、それぞれの方を通じて届いた支援が
 被災地の皆さんとの関係を着々と築かれていることが実感できた訪問でした。

 終始、拙いレポートで申し訳ありません。
 少しでも被災地の皆さんのお気持ちや、様子が伝わりましたら幸いに思います。


(あとがき)
 レポートでUPされる写真をみる度に現地へも伺いたいとおもっておりましたが、
 土日休みを取れず、機会がなかなか見つからなかったところ、いざ参加が叶うと
 ボランティアをしたことも受けたこともないため、右も左もわからない中、
現地活動をされてきたビタミン計画の皆さんからのアドバイスをいただきまして、
支援先の皆様にお会いしたいという気持ちで、初めて被災地へ向かいました。

海岸沿いへ近づくにつれ、車窓の風景がさまがわりしていきました。
初めて訪問した人であれば、復興の兆しを感じられないというのが本音じゃない
でしょうか。大津波が町に到達する映像を何度みていても、目にした姿・かたちに
「どうして・・・」と言葉がつまってしまいます。

でも当初から来られている派遣隊の皆さんによると、町中に打ち上げられた船や、
 ビルの上にあった廃車なども運びだされ、整備が進んでいることが分かるそうです。


現地でとらえた被害の広大さは、生涯わすれられないと思いました。
「全部がなくなる」という状態を、被災地からの帰宅直後は、目に見えるものだけで
 とらえていましたが、訪問から数日経ち、活気づいている街を歩いているうちに、
被災地では、その土地の風土や、数世代が刻んできた時をふくめて「全部がなくなった」
ことに気づかされました
私の家族で今回の被災地訪問の体験をシェアした時、根こそぎ」という言葉の意味を深く考えることとなりました。

個人でできることはまだ少ないですが、また何か機会が得られましたら
訪問を重ねて行きたいと思います。

 長文をご一読いただきまして、ありがとうございました。
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       【ビタミン計画】 和泉洋子
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