2012年6月11日月曜日

【第10弾】桐ヶ崎での花壇作りの活動報告/岩正人

5月26日に、女川町桐ヶ崎の仮設住宅にお花の苗を届けて、一緒に花壇作りをしてきました!
ご報告させていただきたいと思います。



<花壇作りをすることになった経緯>

・お花を届けるというアイデアは割と早くから出ていましたし、仮設住宅の方からも「お花もいいね」といった声を聞いていました。派遣部隊メンバーの中では、家の中に飾れて日々の成長を感じられるものがいいんじゃないかとか、共同作業やコミュニケーションのきっかけになる花壇作りがいいんじゃないかなどと話し合っていました。
ただ、派遣部隊の活動を始めたのが10月で冬が近づいていたため春を待っていたのと、我々がやってみたいからということではなくて、仮設住宅に暮らす方たちがどう考えるか、どう感じるかが肝心なので、すぐに進めることはしませんでした。
・そうしたところへ、4月に行われた桐ヶ崎の祭の時に、庭仕事の好きなお父さんたちを中心に「花壇を作りたい」という話が持ち上がったので、それをお手伝いする形で今回の活動が実現したというわけです。

・そしてもう一つ、今回お花を買わせていただいた、岩沼市の花卉農家「Dragon Flowers」菅原さんのこと。
・仙台空港の下に位置する岩沼市は、広範囲に渉り津波被害を受けた地域で、津波による浸水面積は市全体の半分、農地の6割近くにも及びます。
Dragon Flowersも例外ではなく、8つのビニールハウスと8万株の苗、そして自宅が津波にさらわれました。ですが、そんな状況にも関わらず「秋には出荷を再開する」と決心し、実際に9月には再出荷にこぎ着けました。
・再開したといっても、以前に比べれば小さな規模ですし、新たな設備投資費用や、周辺の土地計画がどうなっていくかなど、様々な問題は残っていますが、そんな中で今も頑張っておられます。

・菅原さんご自身によるメッセージを紹介しておきたいと思います。

  サラリーマンから もの作り人 に転身して10年。
  津波がすべてをさらっていきました。

  8棟あったハウスも半分以下の3棟からのスタートですが 
  もの作りにかける思いは以前とは別次元です。

  失った10年は、泥に覆われたあの日の光景とともに心に留め、
  次の10年を、止まらず、迷わず、終わらず、進む覚悟です。

・こうして頑張っておられる菅原さんが育てた花、菅原さんが「もの作り人」のプライドを込めて育てた健康で美しい花だからこそ、桐ヶ崎にお届けすることが出来て、本当に良かったと思っています。




<花壇作りの様子>

・26日朝、Dragon Flowersでお花を受け取りました。
菅原さんのご好意で2ケース増えて384株!  かなり苦労して車に詰め込み、桐ヶ崎へ向かいました。

・桐ヶ崎では、住民の方たちや、今回協力して活動した「おちゃっこ隊」のメンバーによって既に花壇が作られていて、そこにみんなで植えていきました。
写真だと分かりづらいのですが、結構細長くて見た目よりは広い花壇です。天気に恵まれたこともあって、汗をかきながらの楽しい作業となりました。
・お父さんもお母さんも、おばあちゃんも女の子も、みんな口々に「お花はいいねえ」「きれいだねえ」「明るくなったね」「これから楽しみだね」とおっしゃいます。
そして何より、表情が嬉しそう! 本当に嬉しくなる一時でした。
仕事に行かれていて花壇作りに参加できなかった方も、帰ってこられてから花壇の前で足を止め、嬉しそうに見ていらっしゃいました。



・やっぱり、お花というのはとても大事なものなのだということ、そして、いろんな人の心を喜ばせるものであるということを、今回の活動を通じて、あらためて感じました。
・ちなみに、2ヶ所に分かれた花壇は、あるお父さんによって「花園1丁目」「花園2丁目」という、素敵な名前が名付けられました(笑)
・その後電話で伺った話によれば、毎日水やりを欠かさず大事にしておられるそうで、心配していたネコのイタズラもなく、きれいに育っているとのことでした。


<その他、あれこれ>

・女川では、銀ザケの出荷が5月に始まっています。
それ自体は勿論嬉しいニュースなのですが、実際の養殖の状況を伺うと、水温の低さ等から育ちが遅く、例年より遅れているのだそうです。
僕自身は、今年の女川の銀ザケをまだ食べていないのですが、ありつけた時には、桐ヶ崎の方たちのことを思い出すでしょうし、桐ヶ崎の方たちのことを家族や友人と話し合いながらいただきたいと思っています。

・岩沼市では、嬉しいことに田植えが行われた水田が広がっていました。
ですが、津波によるヘドロがそのまま残り雑草が茂った水田も多く残っています。1年前と違って、自動車や大きな倒木、タイヤなどは残っていませんが、それ以外はあまり変わっていません。
・岩沼市で震災前に動いていた農機(トラクターなど)は300台ほどあったそうですが、震災後動かすことが出来たのは2〜3台だけだったそうです。
多くの農家は、まだ再開することすら出来ていません。再開された方の中にも、土地計画との兼ね合いで将来に不安を抱えたままの場合もあるようです。
震災から1年3ヶ月が経過し、場所によっては瓦礫が片付いたり、水道電気が復旧していますが、一方で、仕事をまったく再開できないままの方たちも多くいらっしゃいます。





再開に向けて頑張っておられる人への応援も、簡単には再開も出来ない人たちへの応援も、まだまだ必要なのだと感じます。
これからも、ビタミン計画を通じて、自分に続けられる形で被災地への応援を続けていきたいと思います。


<今回の写真アルバム>


-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
       【ビタミン計画】 岩正人(@iwayan22)
       blog; http://project-vitamin-tohoku.blogspot.com/
       Facebook; http://www.facebook.com/VitaminTohoku
       Email; meg.ezuka@gmail.com
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------