2012年4月18日水曜日

【第8弾】【第9弾】初めてプランター隊に参加してみました!/桑田葉子


今回、被災地を訪れるのも初めてだったので、行く前には少し不安がありました
ですが、何度も訪れているプランター隊員さんが長距離を運転してくださり、 震災の爪あとを自分の目で初めて見て、身に迫るものを感じました。

活動前日の昼、私は観光を兼ねて仙台に入りましたが、牛タンをいただいていると早速強い地震。
仙台駅周辺はにぎわっています。 観光バスで市内を廻ると、道路にひび割れや工事現場は多数ありましたが、悲惨な状態は脱して復興が進んでいるように見えました。

活動一日目

古川駅に集合、レンタカーで女川方面へ。
途中石巻の海岸近くを通ると、海が襲ったあとの更地に積まれた瓦礫、骨組みだけの建物や、ひどく壊れた小学校など、心痛む光景が続きます。
洋服など生活のにおいが感じられるものが泥に混じった瓦礫は、いっそう痛ましく感じられます。 生活しているらしい家の庭の植物も、茶色く変色していました。




園芸用品と産直ショップが併設されている「グリーンサム」へ。仮設住宅へのお花提供に関するプランター隊員とお店の方のお話の間、胡椒味塩のり・牡蠣味噌・お好み焼き粉などお買い物。 地元にしかない産物・お値段。魅力的です!今日を記念して、グラジオラスの球根も買いました。庭に埋めようと思っています。

野菜が届く女川の「コバルト民宿」に向かう前に、お昼の食処を探しましたが、お店はなかなかなく、やっと行き当たった食堂にて私はエビフライをいただきました。大きなエビ2本、美味しかった!でも外はどしゃぶり。 民宿に戻って、ダンボールに入った野菜を積み、桐ヶ崎の仮設住宅に向かいました。

海からすぐの山腹の空いた土地に、プレハブの仮設住宅と集会所。畳敷きの集会所は広くて使いやすそうです。
住民の方が迎えてくださり、野菜を仕分けして一家族分ずつ袋に入れます。今回は東北の野菜が寒さでどうしても揃わなかったため、岡山から。
パンフレットとお花もついていました。
手分けして各世帯のお宅を訪問、配ります。集会所で始まっている「お茶っこ」にお誘いし、何人かの方がいらして下さいました。

桐ヶ崎の住宅の方はにこやかに迎えてくださって、ワカメの煮物など、お茶受けに勧めてくださいました。しょうがも入れてめんつゆで煮るのだそうです。 住民の方同士のお話はなかなか聞き取れなかったのですが、私たちにはわかりやすい言葉で、にこやかに話しかけてくださいます。

ここからすぐそばの海でのお仕事、家もいっしょに流されてしまって、今後高台に移転したとしても、どのように生活が成り立つのだろうか、と考えてしまいます。
「震災の前と後で、鏡の中の自分の顔がちがう」という奥さん方の声も、心に響きました。津波のストレスのせいだと話していました。

これから春になるので、外でプランターに野菜か花を育ててはどうか、という提案には、 「野菜だとネコのトイレにされてしまうこともあるけど、花だと平気みたいよ」との返事でした。野菜については、何か工夫が必要なようでした。

仮設住宅を出て、コバルト民宿へ戻る途中、海のそばに浦宿駅がありました。この鉄道が使われるのはいつの日でしょうか。 民宿で夕食。お刺身のタコ、貝、あんこう、カレイの煮物などの海産物と、鍋料理でお野菜をおいしくいただきました。




活動二日目:

翌朝はよく晴れて、女川の沿岸沿いを北に向かい走りました。湾岸のくねるシルエットと突き出た半島、海の水面の輝きが美しい!



でも反対側は、ならされた更地に瓦礫の山、壊れたままの建物などが点在する光景。一年経っても、右と左は全くちがうのです。 写真を撮る場所には困らないのに、人の集まる店などはなかなか見当たりません。



大きな橋のたもとに車を止めてみると、北上川の下流が海に広がる美しい場所。
その横の遠くの岸辺に、もう使われていないらしい小学校が見えました。「大川小学校」の児童を悼む立て札が立っていました。
かわいらしい小学校の建物は色が霞んで、ぼうっと見えます。花束が手向けられ、裏山に森が生い茂っていました。
こんなに美しい自然の中で育っていた子どもたち。元気な声が聴こえてくるような気がして、涙なしにはそこにいられず、手を合わせるしかできませんでした。 あの景色は、きっと忘れられません。

そこから北へ向かって歌津を通る時、商店街がありました。
広くさらされた平地に突然現れたプレハブの店舗の並び。目に見えるところに瓦礫の山。
商店街の人と話したら、すぐそこの海から商店街を超えて、その上にある小学校まで津波がきたということでした。  更地にひっくり返った大きな建物の上に、車がまだ乗っていました。

「道の駅」に到着。届いている野菜を車に移動。裏はすぐ海です。産直ショップ内では、地元の食品がたくさん並び、食事もできます。でもお店の裏に廻ると壊れた建物の建材などがいくつも落ちていて、使用禁止と書かれたポストがビニール袋をかぶって立っていました。 この産直ショップでもお買い物。都会にはない、安くて美味しそうなものばかりで、たくさん買っても未練たっぷり。

歌津の方へ少し戻り、本吉町小泉の仮設住宅へ。
前日の桐ヶ崎より少ない世帯数で。少し歩いた所にもう1カ所ありました。そばに小学校があります。
仮設住宅の奥に集会所があり、住民の方が迎えてくれました。 野菜を仕分け、各世帯のドアを叩いて配ります。皆さん、笑顔で受け取ってくれました。

集会所は9畳で狭いので、倍の広さに広げてもらうよう市に要望しているとのことですが、その分駐車場が狭くなってしまうこともあって代表の方が悩んでいました。
外の仮設トイレには当初電気もなかったそうで、申請して電気をつけるのに何日もかかったそうです。
何をするにも一つずつ事業計画書がいるし、時間がかかるし、対応に前向きでないので役所との話は難儀だとのことでした。
ポットなどの備品はまだこれからなので、ここではお茶はまだ飲めませんが、住民の皆さんはなごやかに話してくださいます。 外でプランターに野菜か花を育ててはどうか、という提案には、「どちらもあったらいいね」とのこと。

帰りにプランター隊長より、聞いた話。
「あの黒い石垣のところまで海が来たそうです」というその位置は、仮設住宅よりは下ですが、ちょうどその時私たちが立っていた山腹のあたりでした。



はるか遠くに見える海からは、左右山に挟まれ、何百mも離れています。


海がこの地区全体を飲み込んだと言われても、とても信じられない。 でも途中の土地には家の基礎だけが点々と残っています。せめて小学校に被害がなくてよかったと思いました。

<振り返ってみて>

太平洋側の海沿いをずっと車で走ると、いつまでも目の前に広がる被害の甚大さを改めて思い知らされます。
一年経っても、何も建っていない、誰も住んでいない更地と瓦礫の山。
通りを走るのは工事車両が多く、時々真新しい設備のガソリンスタンドや、お店を見かけます。 そして、子どもの姿を見かけません。地元で暮らす子どもの姿を今回全く見なかった気がします。

その中にぽつんと立った仮設住宅で、住民の方はどんな思いで暮らしているのでしょうか。 更地にならす工事をする人は、どんな気持ちで仕事をするのでしょうか。

私なら普段近くのスーパーで買える野菜を、遠くから送っていただいて、別の遠くの場所から来た人間が各世帯を廻って配る。
そのことの意味を考えずにはいられません。 時々でも、食べ物をさげて訪ねて集まって、日々の暮らしの話を聞いたり、お茶を飲んだり・・ そういう、ほっとするのに近い時間は、ここではまだまだ必要な気がします。 そして、私達のふだんの幸せがどんなにありがたいことかを改めて感じています。

貴重な機会をいただきました。皆さん、ぜひ東北に訪れてみてください。
何もお役には立てませんでしたが、ほんとうに行ってよかったと思いました。 連れて行ってくださった隊員さんたちに感謝です。


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