2012年2月19日日曜日

【第7弾】女川・仮設住宅訪問記(2月12日)/Sさん

  今月の現地活動報告、まず最初は、宮城県在住でブログ女川 史上最大の復興の筆者Sさんのレポートをご紹介致します。Sさんとは、ビタミン計画開始間もなく、亘理町応援団越山様の紹介でご縁ができました。以来、色々と相談に乗って頂いております。
  町の事情に詳しいSさんに、桐ヶ崎の方達はすぐに打ち解けて下さったようです。お茶っこの席では、お勤め先の話から結婚や人生(!?)についても話題に上ったとか…。 Sさん、ご参加本当に有難う御座いました!


  “今回ビタミン計画さんの訪問メンバーに欠員がでたということで、急遽お声をかけていただきました。仕事の都合で参加できたのは日曜日の女川訪問だけでした。

  震災後個人で動く中で縁あって女川と関わりを持つようになりました。昨年5月に女川の物資本部を訪ねて以来今回で5回目か6回目の女川訪問です。始めの頃はまだ体育館に数百人の方がおられ、瓦礫の隙間に道路だけがあっただけの町を思うとずいぶんときれいになり、11ヶ月という時間の流れを感じずにはいられません。
  これまで避難所を訪ねたことはあり、又、女川の関係者と何度も話をしてきましたが、仮設住宅を訪ねそこにお住まいの方と話をするのは初めてです。

  昨年秋に就任された女川の新町長は大変精力的な方で、自らがプレゼンターとなり、町内だけでなく県内各地でも女川の復興計画を説明して回っておられます。私たちが女川を訪ねた前日には仙台で説明会が開催され、100名ほどが出席されたそうです。
 復興計画は、居住地と非居住地のエリア分け、公営住宅の予定地と戸数、用地買収等かなり具体的に進んでいるようです。

  たいていの場合、私たちが知るのはここまでです。復興計画が出来たね、家を建てる場所も決まったよ、再建が無理なら公営住宅に入れるよ、良かったね。

そのように見えていました、今までは・・・

  でも、今回その先の部分を私は知りました。町の復興計画が決まったら次は個人の計画、人生設計を組みなおさねばならないのです。
  この町にとどまるのか、もう一度家を建てるのか、或いは公営住宅に入るのか、町を離れた子ども達はどうするのか、これからたくさん考え、決めていかねばなりません。
  私のように転居を重ね、玄関を開けたらお隣の玄関が目の前にあるような暮らしの者は引越しもアパート暮らしにも何のためらいもありません。でも、女川を含めた浜の多くの皆さんは、先祖代々の大きな家に住み、3世代4世代の大家族で暮らしてこられました。そんな方々が、例えば家を建て直すのは難しいと判断したところで、仮設住宅よりは広いでしょうが狭い集合住宅での、場合によっては単身入居をする、という決断をするのは容易なことではないと思います。
  すでに再建の決意を固められた方もおられるでしょう。でも、まだ何も決められずにいる方もおられます。何も決まっていない状態というのは、とても不安定で心が落ち着かないものです。住民の方が何度もおっしゃった「これからどうなるんだっぺねぇ」という言葉に、私たちが想像する以上に辛い過程なのだろうと思いました。

  最後のお一人に本当の笑顔が戻る日まで寄り添い続けられる支援でありたいと、切に願った女川訪問でした

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