2011年11月3日木曜日

【第1弾】野菜プランターの会(10月22日)の感想/河野敬子さん

河野敬子さんのレポートご紹介します。
野菜プランターの会のページ集合写真など沢山の画像をアップ致しました。こちらもあわせてご覧下さい。

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10月22日(土) 牡鹿郡女川町

事前情報で女川の方が難しいと聞いていたが、多少の派閥は感じられるものの、さほど殺伐とした印象はなかった。もしかしたら、初めてということもありちょっと“よそいき”な対応だったのかもしれない。(一度しか来ないのならばお客様扱いで終わる)

到着時は、仮設の人たちは外に出てきておらず、声をかけておばちゃん二人が芋煮の手伝いに来てくれた。おそらく10時にきてくれたおばちゃんは、今回のイベントを楽しみに待っていてくれたのだと思う。我々があまりに大所帯だったので、びっくりした感は感じられ、「来てください。」と言われたところで、私が逆の立場だったら、あの中に入っていくのはかなり勇気のいることだったと思う(その点おばちゃんは強い)。

集会所の中は、スタッフで埋め尽くされており、かといって誰が何をして良いのか?仕切ってよいのか?引くべきか?芋煮を手伝うのか?ブルーベリージャムか?混乱という言葉が一番しっくりくると思う。私もプランター到着を待つべきか?中を手伝うべきか?困った。プランターは木村隊長や岩さん、村上さんも居たのでとりあえず中かな?と思い中の手伝い。お互いの顔色を伺いながらぎこちなく作業。ちなみに芋煮に関しては、少なくとも手順をおさえていてもらえれば(もしくはリーダーが積極的におばちゃんに聞いて手順をスタッフに指示)、もう少し良いスタートが切れたのではないかと感じた。

一緒に作業をするのはとても良い。お話もできるし、被災者の人たちも頼りにされるのはうれしいと思う。ただ、おばちゃん1に対して、スタッフ4くらいの割合で集会所の中に入っていたため、途中で手伝いに来てくれたおばちゃんが「十分手は足りているみたいだから、できた頃来るわ。」と帰った方もいらっしゃり、このあたりは状況を見ながらスタッフの誘導をリーダーに行ってもらえればと感じた(スタッフ同士だと角が立つ)。


お年よりは決まった時間に食事を取る人が多い。12時に芋煮が出来上がっていないと、みんな自分たちで食事を済ませてしまう。それまでに作ることが非常に重要ということが、元料理教室の先生の殺気立った雰囲気で感じ取れた。おにぎり用ご飯が30分の給水時間がとれなかったこともあり、うまく炊き上がらなかった。これもおばちゃんたちを焦らせた(誰が水加減をみたのか?と犯人探しみたいになっていた…)が、結果的には再度炊き直しでどうにか間に合い、10人くらいで一揆におにぎりを作った(が、おばちゃんたちのおにぎりはさすが漁師の妻だからか、1個が大きかった。結果的に数がいきわたらなかったと思う)。芋煮も無事出来上がり、仮設の人たちが集まって来てくれて食事となった。食事の際、仮設の人たちが最初に食べて、その後スタッフが食べる感じになってしまったのが残念。集会所が狭かったこともあり仕方なかったのかもしれないが、順番に出入りして、少しでも仮設の人たちと一緒に食事をしながらお話できたらよかったと思う。なんとなく「お手伝いに来ているのだから、スタッフは二の次」という空気が漂っていて交流が阻まれたのも残念。仮設の人たちも、周りに食べていないスタッフが居るのを知っていることもあり、長居はできないといった感じで食事が終わった人から立ち上がられたのも気の毒だった。交流をもう少し大事にしてもよかったのでは?と思った。集会所に入りきれない状態だったので、お盆を持ってきて自分の部屋に持ち帰っていた家族もあった。とはいえ、出てきてくれただけでもよかったのかもしれない。

野菜プランターの会。一番に元料理教室の先生のおばちゃんが来てくれた。今日は2種類植えると案内したが、ハツカダイコンだけ植えたいと言われ、どうしようかと思ったが、植えたくないものを植えてもらうのも…と思い1種のみ植えてもらった。それ以外の人は2種類、縦割りもしくは横割りで植えてもらった。あっという間ではあるものの、みんなかなり楽しそうに作業をしてくれてよかった。気がつけば、自分のプランターが終わった人たちも再びテントに戻ってきていた。残ったプランターの行方が気になったのではないかと思う。1軒に一つ、不在の家はおうちの前に置いておくことを説明。会場に来ていない人の分は、そこに居た人に協力してもらって作ってもらった。部屋の前に行くと、既にいくつかプランターで野菜や花を植えていた人も居た。早速、カゴをかけて発芽を早めようとするところなど、抜け目ない。猫が多いこともありおしっこ予防のため、台の上に置くなどの知恵があちこちで垣間見られた。

1世帯1個なのか1部屋1個なのか?少々混乱した。1部屋に2世帯の部屋もある。気仙沼は3世帯で2部屋、2世帯で3部屋など結構複雑。また、一応入居しているが、全く住んでいないケース(コミュニティの中では村八分状態)などもあり、事前情報と現地でもヒアリングの重要性を感じた。部屋で割り振るなら、事前に部屋番号をプランターに記入しておいても良いのかもしれない。そうすれば、来ていない家のプランターは自動的に残る。このあたりは要検討。

「お花はないの?」確かに、お花は癒されるが今回はなし。「腐葉土は混ぜないの?」畑をしていた人たちにとって土作りは命。腐葉土も肥料も混ぜてある土は便利だけれども、少し寂しそうだった。プランター野菜が仮設のご近所同士の話のネタになってくれていればうれしい。
支援物資配布。特に手編みマフラーとお米は予想以上の盛り上がりぶり。マフラー選びはおばちゃんたちが特にうれしそうだった。早速マフラーを巻いてみせる人もいて、一瞬かもしれないが、ギスギスした雰囲気とは無縁な感じだった。何よりも盛り上がったのは、次回の予告の宣伝紙を渡した時。その時、来月も来るのだ!と思ってくれた様子。元料理教室のおばちゃんは、「クリスマスリース作りがいいね。楽しみだねぇ。」と何度も言っていた。見送りは10名以上いたと思う。撤収作業に少し時間がかかり、かなりの時間仮設の人たちが見送るために外で待ってくれていたのが気の毒だった。代表奥さんは、芋煮もプランターもさほど積極的には感じられなかったが、マイクロバスの乗り口まで近寄ってきて、感極まったのか?涙を流しながら見送ってくれたのが印象的だった。早く涙を流さず生きていける日が来ると良いなと思った。

プランターをきっかけにこの仮設とかかわることができた。継続的に支援を行うのであれば、その方法、ツールは被災者の話を聞きながら変化していっても良い気がする。短期的には、この仮設の人たちが良い人間関係を保ちながら仮設住宅での生活を営めるような支援を行うこと。そして、長期的には彼らが自立して仮設を去る日を迎えられる支援をすることではないかと思う。これもひとつのご縁。所詮よそ者ができることは限られている。けれども、できる限り心を寄せ、ともに歩んでいきたい。
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